東京地方裁判所 昭和34年(合わ)295号 判決 1960年1月11日
被告人 高原こと高月鳳 外三名
主文
被告人小林を懲役九年に、被告人高を懲役八年に、被告人金を懲役七年に、被告人南を懲役五年に各処する。未決勾留日数中被告人小林、高、南に対しそれぞれ二百五十日、被告人金に対し百日を右各本刑に算入する。訴訟費用中証人中川正昭(第一回公判出頭)、宣永玉、金又石、山口信義、大島健治、柳万俊、康東錫に支給した分は、被告人小林、高の連帯負担とし、証人中川正昭(第七回公判出頭)に支給した分は、被告人小林、高、金の連帯負担とし、証人町田欣一、庄司喜一郎、足助和三郎および鑑定人伊木寿一に支給した分は、被告人金の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人高は、幼少の頃叔父にともなわれて朝鮮から来邦し、長ずるに及んで工員、船員、パチンコ屋などをして所々を転々したのち、昭和三十二年九月頃から東京都江東区深川塩崎町一番地の通称バタヤ部落に移り住み、木造ルーヒング葺平家建(建坪約十七坪)一戸を構えて妻子五名とともに居住し、飲食店を経営していたもの、被告人金は、被告人高の従兄であつて昭和二十五年四月頃朝鮮から密航してきたのち、農業の手伝や大工などをし、昭和三十二年六月頃から前記バタヤ部落内の木造ルーヒング葺二階建(建坪約二十四坪)の自宅に妻子五名とともに居住し、乾物商を営んでいたもの、被告人小林は、終戦の際満洲で両親と離別し、以来雑役をしながら所々を転々し、昭和三十年十一月頃本邦に密航してきたのちも人夫をし、昭和三十三年三月頃前記部落内にある康東錫経営にかかるビニール加工工場に工員として住込み、被告人高の食堂で食事したり被告人金の店で買物したりしていた関係から、両名とはかなり親しい間柄にあつたもの、被告人南は、昭和十八年頃来邦し、北海道で土工などし、昭和三十三年十一月下旬頃職を求めて上京した際偶然被告人小林と知り合つたものであるが、被告人高は、昭和三十二年十一月四日前記家屋および家財につき日動海上火災保険会社との間に自己名義で保険金七十八万二千円(後記放火未遂後保険期間満了)、昭和三十三年四月十二日同一物件につき米国系保険会社であるアメリカン・インターナシヨナル・アンダーライタース・ジヤパン・インコーポレーテツト会社(以下A・I・U社と略称する。)との間に自己名義で保険金五十万円、更に昭和三十三年十一月二十日同一物件につき同社との間に妻洪如玉名義で保険金八十万円の各火災保険契約を締結し、被告人金は、昭和三十三年四月十二日、同年十月七日の二回にわたり右A・I・U社との間に前記家屋および家屋内の商品等につき妻金順子名義でそれぞれ保険金百万円、同五十万円、同年十二月一日同一物件につき同社との間に自己名義で保険金五十万円の各火災保険契約を締結していたものである。
被告人高は、昭和三十三年十月十日頃前記飲食店に立ち寄つた被告人小林と世間話をするうち、被告人高の家が四十万円で売りに出されていることやこれに百数十万円の保険がかけられていることが話題になり、やがて二人の間には保険金入手のための放火の話が出、結局被告人高は、被告人小林に対し、「火をつけてくれれば四十五万円位の報酬は出してよい。」などと申向けて暗に放火の相談をもちかけた。被告人小林は、数日後被告人高を訪ねて約束どおりの報酬を出すかどうかを確めたうえで、右の放火を実行する旨を告げ、ここに両名の間には放火の相談がまとまつた。ところが被告人小林は、どうせ放火するなら、他からも報酬をもらおうと考え、かねて被告人金が多額の火災保険に加入している旨聞知していたのを奇貨とし、その翌日頃まず被告人金方に赴き、同人に対し「高から四十五万円位の報酬で放火を依頼されたが、これだけでは額がすくないのでやる気がしない。」と、それとなく放火の謀議に加わるようすすめ、同人から「放火してくれれば三十万円出す。」との返答をえて同人との間に放火の相談をしたのち、更に同日頃朴南浩とも報酬四十万円で放火する旨約したが、右の各相談にあたつては、放火の日時、場所、および具体的方法についてはなにも話合わず、これらは、すべて自己に一任された形となつた。被告人小林は、被告人高等からつぎつぎに放火の依頼を受けたのち同月二十日頃同人等三名に対し放火の準備金として五千円づつ出すよう要求し、朴からは金がないからと断わられたが、被告人高からは、被告人金の立替分五千円をふくめて一万円を受け取り、同月下旬頃には被告人高に対し放火の実行後とりあえず五万円出すよう要求してその了承をえた。
第一、被告人小林は、被告人高等三名との共謀にもとずき、昭和三十三年十月三十一日午後八時頃偶然出あつた顔見知りの小沢某に対し、前記放火の計画を打ち明けたうえ「放火を引き受けてくれれば二十万円の謝礼をする。」旨申し向けて同人の承諾を得、同人との間でも放火についての相談をまとめたが、同人に対しては放火の日時、場所を示唆するにとどめ、具体的方法はすべてまかせることにした。かようにして小沢某は、被告人小林および同人を通じ被告人金等とも共謀のうえ、同年十一月一日午前四時頃被告人高方東隣りの鄭燦基等が現に住居に使用する同人所有のルーヒング葺木造平家建(建坪約十四坪)の居宅東南隅羽目板にくつつけて置いてあつた俵の中の鉋屑にマツチをすつて点火し、もつて同建物および隣接の被告人高等のいずれも人の現住する建物に燃え移らせてこれを焼燬しようとしたが、間もなく附近の居住者に発見消火されたため、鄭方家屋の羽目板の一部をこがしただけでその目的を遂げず、
第二、被告人小林は、右の放火未遂事件後被告人高に対し約束の五万円の支払方を再三要求したが、同人が言を左右にして応じないので、同年十一月三日頃同都足立区小右衛門町の康東錫方に被告人高および朴と共に会合し、両名に右金員の支払を求め、互いに話合つているうち、康から怒鳴られたため要領をえないまま同所を立ち去つた。その後被告人小林は、同月中旬頃被告人金方を訪ね、同人に対し「高は五万円出すと確約していながら一向支払つてくれない。」などとこぼしたところ、同人から「今は皆金に困つているから、保険金を貰らわなければ出せないだらう、正月か暮の忙しい時にやれば、皆よく寝ており、風もあるし、うまくゆくだらう。」と放火の実行を促され、更に同月下旬頃には被告人高からも「新しい保険をかけたから頼む。」といわれたので、再び放火の機会をうかがつていた。被告人小林は、前同様みずから放火することは避け、他にその実行者を物色していたが、たまたま同年十二月十七日頃同都台東区浅草山谷都電停留場附近で日雇労働者風の被告人南の姿を見かけるや、同被告人に放火させようと考え、同人を近くの食堂に誘い出し、ビールを御馳走しながら前記放火の計画を告げたうえ、二十万円の報酬を出すからこの計画に加わり放火の実行を担当するよう依頼した。被告人小林は、被告人南の態度がにえきらないので現場の下見に連れ出しなどして強くその決意を迫り、同月二十九日頃ようやく同人を納得させ、その実行を確約させるに至つた。かようにして被告人小林および同被告人を通じ被告人金等三名と被告人南との間にも放火の相談がまとまつたので、被告人小林は、同月三十日午後九時頃被告人南ほか一名を伴つて前記部落の入口附近に赴き、途中買い求めた罐入り混合油(オイルとガソリン)約二升を一旦同所にかくしたうえ、被告人南に放火の指示を与え所携のマツチを手渡したのち、同人をその場に残して立ち去つた。そこで被告人南は、被告人小林等との共謀にもとずき、翌三十一日午前二時三十分頃前記被告人高方居宅北側の板壁にもたせかけて積んであつた薪に右の油を振りかけ、これにマツチで点火した新聞紙をのせて放火し、もつて同居宅および隣接のいずれも現に人の住居に使用している大島英一こと朴英一方ほか十二戸を全焼二戸を半焼させてこれを焼燬し、
第三、被告人高は、昭和三十四年一月十七日頃前記放火の事実を秘匿して、あたかも原因不明の出火により類焼したように装つて、同都千代田区大手町二丁目八番地の七所在の前記A・I・U社に対し、前記二口の火災保険契約に基いて保険金の支払を請求し、その旨同社係員を誤信させ、よつて同年二月十一日同社において同社係員から同社振り出しの小切手二枚(金額合計百九万円)を交付させてこれを騙取し、
第四、被告人金は、昭和三十四年一月十七日頃前記放火の事実を秘匿し、あたかも原因不明の出火により類焼したように装つて、前記A・I・U社に対し、前記三口の火災保険契約に基づいて保険金の支払を請求し、その旨同社係員を誤信させ、よつて同年二月十一日同社において同社係員から同社振り出しの小切手二枚(金額合計百十九万二千二百二十八円)を交付させてこれを騙取し、
たものである。
(証拠の標目)(略)
(証拠説明)
本件は、特殊な事案で、その事実認定はかなり困難である。なぜなら共犯者と目される者の一部(すなわち、第一の放火未遂に関係したと目される小沢某、第一の放火未遂、第二の放火に関係したと目される朴南浩ほか一名)が逃亡し、ほとんど取り調べられていないばかりでなく、各被告人の供述以外には、客観的証拠がきわめてすくないからである。しかも右の困難さは、公訴事実を全面的に認めているのが被告人小林だけであること、同人の供述さえ審理の過程で相当変化していること、各被告人の供述が重要な点で著しくくい違つていること等のため一層増大されている。そこで、なぜ判示のとおり認定したかを次に説明する。
(一) 各被告人の供述の信用性
被告人小林は、捜査以来一貫して犯罪事実を認める態度をとつている。しかし、この自白は、必ずしも完全な自白とはいえないように思われる。なぜなら同被告人は、第六回公判までは、第一の放火未遂の事実と、第二の放火について朴南浩および被告人金が関係しているとの事実を全くかくしており、一切を明らかにするといつて右の諸事実を述べだした第七回公判以後においても、なお若干事実をかくしているのではないかと疑われるふしがあるからである。したがつて、
被告人小林の供述については慎重な検討を要するが、特に第六回公判以前の供述は、共謀の日時、場所等について不自然、不合理な点が多く、あまり信用できない。
被告人高は、被告人小林が新たな事実を供述し始めるまでは、ほぼ一貫した陳述をしており、その弁解には一応筋がとおつているようにみえたが、その後はかりな動揺し、自己に不利な新たな事実をも一部認めるに至つた。すなわち、被告人高は、第六回公判までは、放火について被告人小林と共謀したが原因不明の放火未遂事件があつたのち同被告人に対し放火をことわつたと弁明していたが、その後は、自ら放火未遂事件に関係したこと、被告人小林に同事件の直前一万円を交付したこと、更にその後間もなく被告人小林に対し放火直後五万円支払う旨の約束をしたこと等を認めているのである。
これに対し、被告人金は、捜査以来終始本件放火に全く関係がないと陳述している。
右各被告人の供述(警察および検察における供述をふくむ。)を仔細に検討した結果によると、被告人等は、程度の差はあるが、いずれも自己に有利な事実を誇張し自己に不利な事実をかくそうと努めているように思われる。この結果自分が語つたことを相手が語つたように述べたり、あとで思いついたことを実際に言い、あるいは行つたように述べたりしていることがすくなくない。これは、被告人の心理として、ある程度やむをえないものといえる。ただ興味深いことは、第二の放火について関係がないといつている被告人高、全面的に否認している被告人金も、ある程度不用意に自己に不利な事実をも陳述していることである。しかし、いずれにせよ、裁判所としては、ある被告人が他の者に対し自己の責任の一部あるいは全部を転嫁するような結果を容認することはできない。この観点から、裁判所は、被告人高および金の弁解に虚心に耳を傾けるとともに、被告人小林に対しては、逆に他に累を及ぼすことのないよう度々注意し、随時被告人等を相互に対質させ、その供述の態度や内容を慎重に比較検討した。この結果裁判所としては、被告人高や金の供述には、あまりに不自然不合理な点が多く、比較的これらの点のすくない第七回公判以後の被告人小林の供述こそ大綱において真実を伝えているものと判断せざるをえなかつた。しかし、各被告人に前記のとおり強い自己防衛の本能があること、多かれ少かれ記憶違いがあるであろうこと等を考えると、被告人の供述だけに頼るのは危険である。そこで更に裁判所は、被告人等の供述が一致し間違いないと思われる事実、および被告人等の供述その他の証拠によつて認められる動かすことのできない客観的事実を明らかにし、これらの事実と対照しながら、各被告人の供述あるいは弁解のいずれを信用すべきかを検討することとしたい。
(二) 本件において被告人等の供述が一致し間違いないと思われる事実および動かすことのできない客観的事実としては、次の諸事実が認められる。
(1) 昭和三十三年十一月一日判示第一の放火未遂事件があつたこと。
(2) 同年十二月三十一日判示第二の放火事件があつたこと。
(3) 被告人高が判示のとおり自己の家屋および家財につき同年四月十二日自己名義で五十万円、同年十一月二十日妻洪如玉名義で八十万円の火災保険契約をかけていたこと。
(4) 被告人金が判示のとおり自己の家屋および家財について同年四月十二日妻金順子名義で百万円、同年十月七日同人名義で五十万円、同年十二月一日自己名義で五十万円の火災保険をかけていたこと。
(5) 同年十月二十日頃被告人高から被告人金の立替え分をもふくめて一万円を被告人小林に手渡していること。
(6) 被告人高と被告人小林との間には、第一の放火未遂事件の前に、被告人小林が放火すれば被告人高が四十万円位の謝礼をするという話し合いがあつたこと。
(7) 同年十月下旬頃被告人高が被告人小林に対し、右謝礼金の中から放火直後とりあえず五万円支払う旨約したこと。
(8) 同年十一月三日頃判示康東錫方に被告人小林、高、朴の三名が落ちあつて話しあつていること。
(9) 被告人高が判示のとおり昭和三十四年二月十一日頃小切手で保険金合計百九万円を受けとつていること。
(10) 被告人金が判示のとおり同年二月十一日小切手で保険金合計百十九万二千二百二十八円を受けとつていること。
(11) 被告人金が同年二月十三日頃被告人小林および朴南浩と同都江東区古石場軽飲食店庄司喜一郎方におちあい、そこで朴南浩所有の小切手用紙に額面二十五万円、昭和三十四年二月十三日と記載し朴南浩に記名押印させたうえ、これ(昭和三四年証八二二号の一一、小切手番号〇二八〇四)を被告人小林に手交していること。
(12) 被告人高が同年二月十四日被告人小林に対し現金二十四万円を交付していること。
(13) 被告人高が同年二月十四日頃被告人小林の依頼をうけ、同被告人のため、大島こと朴南浩振出名義の小切手につき朴の訂正印をうけてやつていること。
右(1)から(4)までの事実、および(9)(10)の事実は、被告人等が認めているばかりでなく、客観的証拠もあつて動かすことができない事実と認められる。(5)から(8)までの事実および(13)の事実については関係被告人の供述が完全に一致し間違いないと思われる。(11)の事実については、被告人金は、その日時、場所で被告人小林等と落ちあつたことを認めながら、小切手用紙に金額等を記載した覚えはないと主張しているが、再度にわたる筆蹟鑑定の結果に徴し(鑑定人町田欣一、伊木寿一作成の各鑑定書参照)右の主張は認められない。したがつて、この事実も充分肯定される。(12)の事実については、被告人高は二十五万円、被告人小林は二十四万円と主張しているがすくなくとも二十四万円の授受があつたことは疑いない。
なお(3)の事実については、被告人高が第一の放火未遂事件のあとである昭和三十三年十一月二十日A・I・U社の保険外交員に対し、執拗に火災保険契約の締結方を申しこみ妻洪如玉名義で八十万円の重複超過保険をかけている疑い。(西田辰三の検察官に対する昭和三十四年三月七日付供述調書参照)
(8)の事実については、被告人小林は、この席で被告人高に対し約束の謝礼金五万円の支払を請求したのであると供述し、被告人高は、この際放火をことわつたのであると陳述し、両者の言い分は完全に対立している。ただ注目すべきことは、被告人高自身当公廷では、その日被告人小林から五万円の請求をうけたことを認めていることである。被告人高がその席で放火をことわつたことは、証人康東錫の供述(第二回目)によつても認めることが困難なばかりでなく、この点についての被告人高の弁解は、(3)および(12)の事実、すなわち、同被告人がその後間もなく妻洪如玉名義で八十万円の火災保険をかけていること、第二の放火後二十四万円を被告人小林に交付している事実に照し、到底信用することができない。当時被告人高の心の底には、あるいは被告人小林に対し、放火をことわろうというような気持が動いていたかも知れない。しかし、このことをはつきり口に出したとは思われない。この点については、被告人小林の供述の方がはるかに筋がとおつており信用できると思われる。被告人高は、二十四万円を交付した点についても、被告人小林から脅かされたので、恐ろしくなつてやむなく出したのであると弁解しているが、この弁解は、同被告人の勘定高い性格、同被告人が被告人小林の度び重なる請求にもかかわらず約束の五万円さえ結局支払わなかつたこと、同被告人がその日被告人小林のため朴名義の小切手について訂正印をもらつてやつていること等の事情に照し、到底信用できない。したがつて、この金は、被告人小林が約束どおり放火したことに対する報酬として供与したものと認めるほかはない。
被告人金は、(5)の事実についてさえ、これは昭和三十三年九月頃被告人小林から、一時貸してくれと頼まれ貸したもので本件放火に全く関係がないと弁解している。しかし、被告人小林が金を貸してくれといつた理由が同被告人の弟が韓国からきたというような不可解な理由であること、被告人小林との間柄が五千円もの大金を無担保で貸し借りするような間柄でなかつたこと、この金についてその後一度も返還の請求がされていないこと等の事情に照し、右の弁解は窮余の弁解としか思われない。右の金は、被告人小林が当公廷で供述し、被告人高が検察官に対し供述しているとおり、被告人高および金から放火の準備金として被告人小林に供与されたと認めるのが正当である。この事実と前記(11)の事実を綜合すると、被告人金が本件放火に相当深い関係があることは疑いない。被告人金が当公廷で本件放火に全く関係がないと弁明しながら、「昭和三十三年秋頃被告人小林から三十万円出せば放火してやるといわれた、しかし自分は冗談と思つて相手にしなかつた」といつている点は意味深い。以上の事実に、更に(4)の事実、すなわち、被告人金が、多額の火災保険をかけていた事実をあわせ考えると、同被告人が保険金を入手するため被告人小林に放火を依頼したという被告人小林の供述を信用するほかないと思われる。
要するに、被告人小林の供述は、細かい点については若干の記憶違い等もまぬかれないが、おおむね客観的事実に符合し、すくなくとも判示事実の限度では真実を語つていると認められるのである。
(法令の適用)
法律に照らすと、判示所為中被告人高、金、小林の第一の現住建造物放火未遂の点は刑法第百八条第百十二条第六十条に、被告人高、金、小林、南の第二の現住建造物放火の点は同法第百八条第六十条に、被告人高、金の第三、四の詐欺の点は同法第二百四十六条第一項に各該当するので、現住建造物放火未遂、同放火の罪につきいずれも所定刑中有期懲役刑を選択し、以上被告人高、金、小林の各所為は同法第四十五条前段の併合罪の関係にあるから同法第四十七条本文第十条によりいずれも最も重い現住建造物放火罪の刑に同法第十四条の制限にしたがつて法定の加重をした刑期範囲内で被告人小林を懲役九年に、被告人高を懲役八年に、被告人金を懲役七年に処し、被告人南については、所定刑期範囲内で同被告人を懲役五年に処し、同法第二十一条を適用して未決勾留日数中被告人小林、高、南に対しいずれも二百五十日、被告人金に対し百日を右各本刑に算入し、訴訟費用は、連帯負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文第百八十二条を、単独負担につき同法第百八十一条第一項本文を適用して主文第三項掲記のとおり被告人小林、高、金に負担させることとし、被告人南は、貧困のため訴訟費用を納付できないことが明白であるから同法第百八十一条第一項但書により同被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
被告人等の判示第二の放火行為は、多数の家屋の雑然と密集するいわゆるバタヤ部落内で、しかも年の瀬を控えての深夜に、多数の者の現住する家屋に対して敢行されたもので、幸い死傷者こそでなかつたが十数名の被害者およびその家族を生命の危険にさらしたうえ貴重な財産を一挙に灰燼にきせしめ、更に近隣の住民を大きな危険と不安の渦中におとしいれたものであつて、その責任はまことに重大である。被告人等としてはまずひき起した結果およびこれに対する責任について更に深く反省する必要がある。本件放火未遂も万一その発見消火が遅れたならば状況次第によつては前同様の重大な結果を惹き起したであらうと想像される。のみならず右各犯行は、利欲追求のため他に及ぼす被害を顧慮することなく計画的にかつ反覆して敢行されたものであつて、何らその動機には酌量の余地がない。放火の中でもこの種の放火は最も悪質なものといわなければならない。各被告人の犯情について考えると、
(一) まず被告人小林は、本件放火について終始中心的、指導的役割を演じており、判示のとおり、ある程度積極的に他に働きかけた形跡さえうかがわれる。目的のためには手段をえらばないその無軌道さは強く非難されなければならない。しかも被告人小林は、自らは放火の実行を回避し他にその実行者を求め、小沢某および被告人南には放火を条件に二十万円の報酬を与える旨の甘言をもちいてその実行を担当させておきながら被告人高等から受け取つた七十四万円の中から被告人南に二万円足らずを与えたのみで、そのほとんど全部を独り占めして自己の生活費等に当てているのである。
(二) つぎに被告人高は、特別経済的に追いつめられた状況でもないのに多額の火災保険契約を締結していたことを奇貨として被告人小林と保険金騙取を共謀したものであつて、自ら放火行為こそ担当していないが、本件放火において、被告人小林に次ぐ重大な役割を演じたものと認められる。のみならず放火が功を奏するやこれを類焼といつわつてA・I・U社から保険金百九万円を騙取したうえ、その中から二十四万円を被告人小林に報酬として与えたほかは自己の生活費等に使い、未だA・I・U社に対しては被害の弁償をしていないのである。
(三) 被告人金は、矢張り火災保険契約を締結していたので、被告人小林から放火の話を持ちかけられるや、軽々しくこれに応じて同人に放火を依頼し、放火未遂後は積極的に第二の放火を被告人小林に促しており、放火後は類焼といつわつて右A・I・U社から保険金百十九万円余を騙取し、右騙取金は全部生活費等に費消してしまい、A・I・U社には被害の弁償をしていない。被告人金の責任は、被告人高についで重いと認められる。
(四) 被告人南は、判示第二の放火を直接担当しており、その軽卒さ、社会的危険性は強く非難されるべきである。しかし被告人南は、被告人小林から放火を依頼された当初は消極的態度であつたのに再三その実行を促され、他面当時追いつめられた生活状態で多少自棄的気分も手伝つて放火を引き受けるにいたつたものであつて、その心情には若干同情すべきものがある。しかもおかした危険に比し得た報酬は僅少であり、結局被告人小林にだまされてその手先として働いたものともみられる。
以上の諸点を考慮すると、被告人金を除き他の被告人等がこれまで一度も刑事処分を受けていないこと、被告人等が真面目に働いてきたこと、被告人小林が年若く、婚約者もいること、被告人高、金が多数の家族を抱えていること、被告人小林、南が改悛の情を示していること、本件放火の被害者の大半が火災保険金の支払を受けていること等各被告人に有利な事情をそれぞれ斟酌するとしても、本件放火の重大性にかんがみ、この際は、被告人等をして身をもつて罪の償いをさせ、かつ充分な反省をさせるためには相当長期の実刑を科する必要があると思われる。被告人等に対し主文の刑を量定したのはこのためである。被告人等としても裁判所の意のあるところを諒察し、決して自暴自棄におちいることなく、これを機会に過去の生活態度を改めて更生するよう努めなければならない。
そこで主文のとおり判決する。
(裁判官 横川敏雄 中川文彦 吉丸真)